数学がという教科がもっとも”個別指導”と結びつくのも,数学の学力や学習力の個人差が他教科と比べてはるかに大きいからです。 ということは,塾の指導側からすれば,この学力や学習力の個人差故に,もっとも指導の難しい教科,つまり,効果のでにくい教科ともいえます。 だから,個人指導になるのであり,また,参考書・教材の選定に右往左往せざるをえないのです。 ところが,個別指導にしても,個々の生徒に納得いくまでていねいな指導はしたいものの,時間の制限あるいはコストの制限から,これが思うようにはいっていないのが現実であり,「個別指導」塾に対する父母・生徒の信頼も最近は低下しつつあります。 個別指導の限界が露呈しつつあるのが最近の情勢の特徴といえます。この個別指導をめぐる趨勢に目をつぶっていると,気づいたときにはまわりに生徒がいなくなるという状況に陥ります。 原因は,従来の個別指導が,十分に生徒個々人の個別的な学習要求を満たしてこなかったことにあります。 ■生徒は,とくに数学の苦手な生徒は,次のような学習要求をもっています。 @自分の思考ペースで教えてほしい。 じっくり考える生徒というのがいます。とても塾の指導時間内では,予定の課題が消化できず,学校の進度にも遅れがちになる生徒です。 このような生徒に,彼自身のペースで十分な時間を与えて考え,学習させる指導システムを保証してあげなければ,個別指導は支持されません。 A納得いくまでくり返して教えてほしい。 たとえ1対1でも,学習は案外と講師のペースで進められているのが現実です。 学習計画との関係もあってゆっくり指導してもいられないということもありますが,案外と生徒の思考ペースを講師がわかっていないことに原因があります。 「〜でしょ!。わかった?」 といわれれば,生徒はなんかわかったような気にもなり,あるいは,もう一度教えてもらうのも何か気が引けて,と結局は納得したようなしないような,そんな気分で学習は先へ進むのです。 畢竟,もし,その問題を帰宅してもう一度解いてみようとしても解けないことがいかに多いことか。 生徒は,しかし,それはそれとしてほっておき,いや,ほっておかざるをえないで,つぎの学習へ進まなければならない故に,知識は欠陥をもったまま,先へ進まざるをえず,さらに,数学はわかなくなっていくのです。 講師の指導力の不足もありますが,これまでの塾という形式での個別指導に内在する本質的欠陥が原因でもあります。 Bわかったかどうか自己チェックしたい。 生徒の学習の本質的な動機付けは「自己発達」です。 むずかしいことではなく,要するに「わかる」ことに喜びを感ずるということです。 いままでわからなかったことが「わかる」ようになると,その分だけ自分の世界は広がるのです。 人間というのは,それがすごくうれしいのです。 だから,自分は何ができて,何がまだできないか,を自分のわかる形で知りたいのです。 テストでの○○点も,けっこうそれなりの資料にはなるのですが,テストの点数は,それではその先,どんなことを学習したらいいのかを提案してはくれません。 たとえば,「1次関数の点数がとれない」というだけでは,「では,何を勉強したらいいのか」はわかりません。そうではなく,もっと,具体的に学力内容を分析してくれる資料が必要です。たとえば,動点と面積に関する問題がわからないとか,ダイヤグラムの問題で汽車のすれちがう時刻と場所を求める問題がわからないとか…。 このような生徒に要求に応じてくれる個別指導はありますか? テスト結果の報告だけでお茶をにごし,個々の生徒の学力の具体的な到達内容を生徒に提示できなかったことが原因で,個別指導は思ったほど効果を出せず,個別指導塾の「渡り鳥」を大量に発生させているのではないでしょうか。 (この項,つづく) |